野村在個展「どうしようもなくかけがのない」をfaroWORKPLACE (FARO中目黒)にて開催いたします。
(日・月、8月12日(火)休み 11時〜19時)
◯OPENING RECEPTION 8月2日(土)18時〜 PERFORMANCE 19時〜
同時開催:野村在「Untitled −君の存在は消えない、だから大丈夫」FARO神楽坂・WINDOW GALLERY
*窓の外からご覧頂く展示です。
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野村在は、「存在」と「記憶」の関係を主題に制作を続けるアーティストです。写真、彫刻、改造した機械など、多様なメディアを駆使しながら、存在と消失、そしてそれに伴う記憶の在り方を探求しています。
野村の制作姿勢には、日常の中に静かに潜む「この瞬間に在るもの」や「消えた(はずの)何か」に光を当て、それらの痕跡を別のかたちで作品として残そうとする意図があります。そうした制作行為を通じて、記憶の中で存在はどのようにとどまり、変化し続けるのかを問いかけてきました。
たとえば、人物が写った写真のイメージを水に溶かすように解き放ったり、人間の存在をDNAデータとして紙に転写したりするなど、物質を新たな形に昇華させながら、気配や時間の揺らぎを可視化する手法は、野村の作品における特徴のひとつです。こうして生み出される表現は、繊細でエモーショナルな響きをもち、感覚や記憶に深く働きかけるのです。
また野村は、現代のメディア技術の進化が「存在」の意味に及ぼす影響にも関心を寄せています。デジタル化や情報の記録・保存が高度に進む中で、私たちは物理的な実体だけでなく、データやAIといった新たな「存在」とも向き合うようになりました。そうした現代的な視点を取り入れながら、野村の作品は鑑賞者の内面と深く共鳴し、「変化すること」と「普遍であること」のあわい、そして「いま、ここに生きていること」の意味へと静かに気づきを促します。
今回展示される新作は、以前から少しずつ取り組んできた「音と存在」にフォーカスを当てています。これまで幾度となく作品制作を共にしてきた技術者たちと、録音と再生、そして音の物質化という機能を併せ持つ特別な蓄音機が制作されました。ギャラリー空間で、その機械を使ったパフォーマンスも行います。
展示を見終えた後、世界の音がどのように感じられるか。
ぜひ、作品との時間を体感していただければ幸いです。
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どうしようもなくかけがえのない
音はかつて一過性だった。
音は発せられると、波のように漂い、どこかに染み込んで消えていく、一度限りの現象だ。
エドワールはある時、目に見えないこの音を見えるようにしたいと思った。
音は振動なので、空気を震わすその振動を糸電話のように紙コップで受け止め、その先に針をつけると針が震える。
その針をすすがついた紙に付けて、その針の震えを”書き取った”、それが後の蓄音機になり、レコードになった。
そうやって、音は気がつけばさまざまな場所に定着するようになった。
繰り返されるようになり、いつしか体すら持たず幽霊のように浮かんでいる、死なない体になった。
私たちと同じように。
けれども実際は私たちの世界の毎日は、絶望と愛おしさの繰り返しでできている。
苦しみは喜びで、そして退屈は過激で、補い合っている。
死ぬから生きる。生きるから死ぬ。
だから音の一過性を取り戻すため、消えていくレコードを作ろうとした。
消えるから、残る。残るから、消える。
だが、途中でふと気がついた、これも実際は消えていくレコードではなく、他の何かを生み出す装置だった。
音が消えていくその中で、音の”もと”を探り寄せるその渦中で、
まだ名もない、測りようもない、何かが生まれることを知った。
音を削って、骨を拾う。
エドワールは音をみえるようにして、私は音に重さを与えた。
けれど自分のことなんて綺麗さっぱり忘れられてもかまやしない。
たとえ光がなくて音がなくて、全てが消え去ってしまっても
あなたの存在を覚えていたい、そう願うことはきっと罪じゃあないだろうから。
どうしようもなくかけがえのない、
この世界を
残すために
消す。
野村在 2025年8月